脱ヲタ=性格悪くなる事??


参考=高い服や靴を着ると性格が悪くなる?



最近「オレは脱ヲタ前よりも性格悪くなってないだろうか・・・」と思うことが間々ある。



例えば、電車の中でダンロップのハイテクシューズを履いている奴を見ると
「うわっ!こいつオタクかよ!!」
何て思ってしまう。
BMI値30以上はありそうな巨漢だったり、グレー地のTシャツに汗染みビッショリだったり、おかしなニオイを漂わせていたり、手の甲に毛がビッシリだったり、青白くて覇気の無い顔だったり、暗い色の服で固めていたり、「何ヶ月切ってねぇんだよ!!」とツッコミたくなる位の長髪だったりするのを見ると
「資源のムダ使いすんなやピザデブ!!」
「公害撒き散らすんじゃねぇよ!!」
「毛ぐれぇ処理しろよ剛毛野郎!!」
「少しは表に出ろやこのヒッキー!!」
等といった蔑みの心が湧いて出て、怒りや、(精神状態によっては)軽い殺意すらも芽生えてきてしまう。



ソレが極限まできたのがコミケ
周りを見たら↑みたいな輩だらけ。
酸素濃度の薄い会場、饐えたような臭い、無表情で無愛想な癖に妙な熱気だけをギラギラさせている野郎共・・・そういった物が渾然一体となって、吐き気すらも催してきてしまった。
ホンの3年前までは全然平気だったのに・・・・・・。



「格好で人格が決まるわけじゃない」
そんなコトは当たり前だ。
格好だけでその人となりが全て分かるなんて、そんなのはバカげた話だ。
でも、今のオレはそうやって格好でその人の人格を矮小化して捉えてしまっている。
オレだって大した事は無い。
青山や代官山を闊歩するような連中と比べて、オレのファッションなんか全然つまんないものだし、ファッショナブルでもない。
体重だって、一時期から75kgまで増えてもはや「痩せた」とは言えない体だし、腕毛をいくら処理しても次から次へと生えてきて手入れを休む事も出来ないし、相変わらず汗っかきで真夏なんか制汗剤付けても2時間もすれば汗ビッショリになってしまう。
見る人が見たらオレだって「ダッセ〜!」「ピザデブ!」「剛毛!」「汗臭ぇ!」だ。



なのに、そんな自分を棚上げにして人を蔑んでいる。
これじゃ、学生時代にスクールカーストを笠に着てオレを「うわ!臭ぇ!」「ブタ野郎!」「屠殺場行け!」等と散々に蔑んだ、あの連中と何ら変わらないじゃないか。
違うのは、ソレを表に出すか出さないかだけ。
散々憎み、怒り、恨みに恨んで、15年以上経った今でも全く許すことの出来ないあの連中と、一皮剥けばオレだって何も変わらないじゃないか。



脱ヲタは、性格悪化なんだろうか。
例えば2chのファッション板等で顕著な脱ヲタ者によるオタクへの人格攻撃もそうなんだろうか。
例えば「脱オタクファッションガイド」のそこかしこに散見されるシニカルなオタク叩き(「コレを肩掛けにするのがオタク的にナウい!」「着ているオタクシャツもろともその場で焼身自殺したくなる事でしょう。」等々)もそうなんだろうか。
ソレは「高い服を着ている」からなんだろうか。
ソレとも「脱ヲタした=いい服を着るようになった」という事を契機に、元々の性格の悪さが露呈してしまっているだけなんだろうか。
とすると、オレはそもそも「性格が悪い」んだろうか。
そして、その「性格の悪さ」にテメーだけ気付かずにノホホンと過ごして、周りの連中から「何アイツ?性格悪くね?」等と陰口を叩かれていたんだろうか。
もしオレがそんな「性格の悪さ」に気付かずに誰かを知らずに傷つけていたんだとしたら、オレだって誰かに傷つけられてもしょうが無いってコトだ。
因果応報。憎しみの連鎖・・・。
そう考えると、何か非道く絶望した気分になってくる。



確かにオレは変わった。
コミケだって、軽い付き合い位の気分でしか参加しなくなった。
秋葉原にも、ここ数年トンと行かなくなった。
アニメを観る時間も確実に減った。
涼宮ハルヒの憂鬱」や「ひぐらしのなく頃に」のブームにも完全に乗り遅れ、もはや1から知ろうとすらも思えなくなってしまった。
脱ヲタ趣味の一環(というわけでもないんだけど)として始めた日帰り一人旅も、趣味の一つとして定着してきた。
でも、そうやって「変わる」コトがいいコトなんだろうか?
「変わる」コトによって性格が捻じ曲がり、人を人として見れなくなってしまっているなら、それは「いいコト」では無いんじゃないか。
今のオレは、嘗てオレを「ブタ野郎!」等と罵ったあの連中と同じ。
外見”だけ”で人を蔑むダメ人間だ。
それは果たして「成長」なんだろうか。
そんな「成長」なら、成長しない方がマシなんだろうか・・・。



脱ヲタというのは、ひょっとしたらそんな「己の心との闘い」なのかも知れないなぁと考えてみたり・・・・・・。