「モテ」のその先にあるもの

「モテ」だ「非モテ」だと喧しいが、一体その「モテ」の先にあるのは何なんだ。



仮に「モテ」て、彼女が出来たとしよう。
その「彼女」の為に、一体どれだけのパワーを注げるのか。
時間、お金、気力、体力・・・どれだけの物を「彼女」に使えるのか。



週末は好き勝手には過ごせない。
「自分」の欲しいモノもひたすらガマンして、「彼女」の欲しいモノに金を注がなきゃいけない。
疲れてても、「彼女」からの電話一本で馳せ参じなければならない。
気力が削がれても、ソレを臆面にも出さずに接さなければならない・・・・・・



こんなガマンを散々重ねて、得られる物は一体何なんだ。
セックス出来るからか?
でも、今時3万円も出せばセックスなんて簡単に出来る。
しかも相手はプロだ。
値段分の満足は十分味わえるだろう(モチロン当たり外れはあるが、その時は店を変えればいいだけの話。後腐れとも無縁だ)。
セックス目的なら、何も「モテ」なんて不確定要素に頼る必要なんかどこにも無い。



じゃぁソレ以外は何かあるか。
付き合ってることの充足感?
「彼女が居る」というステータス?
周りから云々言われるから?
仮にそうだとして、そんな曖昧なモノにオマエはドレだけ心血を注げるのか?
仮に充足感やステータスを得られたとして、ソレが「苦労の対価」として十分に機能できるのか?
そして、仮にそんなステータスを得られても、嫌われてしまっては元も子もない。
心血注いだその先にあるのが「相手から嫌われた」という最悪の結果だけだったとして、そんなモノに価値なんかあるのか?
金、体力、時間を削りに削って邁進しても、後に残るのが途方も無い虚無感と、相手に受け入れてもらえなかったという劣等感と自己嫌悪だけだったとしたら、全く釣り合わない話じゃないのか。
こんな割の合わないコトに精神をすり減らす意味が、一体ドコにあると言うんだ。



なのに、何故みんな「彼女作れ!」と囃し立てるのか。
彼女作らなきゃいけない義務なんてドコにも無いのに、なぜ「恋愛は必須科目!」みたいに祭り上げるのか。
オレも散々言われた。
親からも、親戚からも、友人からも、会社の人たちからも。


「彼女くらい作りなよ〜」
「今度(実家に)帰る時は、彼女も一緒にね」
「やっぱ彼女作るのは大事だよ」云々・・・・・・


じゃぁ「彼女を作る意義」は一体何なんだ。
もし「彼女を作れ」と言うなら、そのコトに対する意味と価値を具体的に、分りやすく提示してくれ。
漠然と「○○才になったんだから」とか「やっぱり恋愛は大事だよ」とか、そんな一般論や精神論はどうでもいい。
価値と意義を具体的に考えつかないくせに、下手なアドバイスはするな!と言ってやりたい。
若しココに書いてるようなコトを考えてるようなら、ソレは単なる身勝手な偏見だ。
恋愛してこなかった(出来なかった)からと言って人格まで否定するのは、エゴと言う他無い。
曖昧な一般論や精神論を盾に追い詰めないで欲しい。



じゃぁ、仮に「彼女が出来た」としよう。
その先には当然「結婚」と言うのが視野に入ってくるだろう。


だが、今のオマエに「結婚生活」が耐えられるのか?


今時の世帯年収は、最低でも600万は必要だと言われている。
ソレだけの金額を捻出することが、オマエには出来るのか?
しかも、600万は最低ライン。
いい生活しようと思ったら、さらにもう2〜300万は絶対必要になってくる。


さらに、子供の養育費だけでも、1000万はかかると言われている。
私立系の学校に行けば、さらにもう2〜3倍は跳ね上がるだろう。
1000万出せばベンツが買える。
3000万ならマンションが買えてしまう。
ソレだけの金を稼ぎ出す能力が、オマエにはあるのか?
仮にそれだけ稼いだとして、ソレでなおも相手を幸せに出来る事が、果たして出来るのか。
結婚っていうのは、相手の人生、生まれてくる子供の人生に全責任を持つという事だ。
今のオマエに、ソレだけの重責を担う力量があるのか?
一生涯に渡って相手の人生を背負うコトが、オマエには出来るのか?



「いや!ソレくらいの覚悟はできている!」
そう言う人も居るだろう。
だが、いくらオマエに覚悟があった所で、周りはどうだ。
この不景気な世の中、会社だっていつまで存続してるか分らない。
ある日会社に来てみたら、すべて引き払って夜逃げした後だった・・・ってコトだって十分あり得る。
ある日、イキナリ上司から肩を叩かれて「キミ、明日から来なくていいから」と言い放たれる可能性だってある。
そうなったら、ダレが家庭を支えるんだ?
生活費、養育費、保険、自動車ローン、住宅ローン・・・
山積み式の経済負担にオマエは耐えられるのか?



それに、オマエだけ頑張ったところで、家庭の中でオマエの居場所があるかどうかも分らない。
頑張っても頑張っても誰にも感謝もされず、家庭の中で孤立してひたすら生活費を稼ぎ出すためだけの「現金自動振込機」に成り下がるコトだって大いにあり得るじゃないか。
「幸せいっぱいの結婚生活」なんてのは幻想だ。
ココを一通り読んで、ソレでもなお結婚生活に夢を抱けるヤツは、相当におめでたいと言わざるを得ない。
手前勝手な女房子供に振り回されて神経をすり減らし、挙句は会社をクビになって、そんな「かけがえのない家族」からも捨てられる・・・。
そんな最悪のシナリオだって十分に考え得るじゃないか。>参考




人間誰しも、究極的には自分のことしか考えることは出来ない。
「相手のため」「人様のため」と思っても、結局は巡り巡って「自分のため」でしか有り得ない。
「情けは人のためならず」とは、よく言ったものだ。
自分の心を見つめてみて見れば分るだろう。
そして、「恋愛」と「結婚」はそんな人のエゴとエゴがぶつかり合い、火花を散らし、互いの気力を容赦なく奪っていく消耗戦だ。


ソレが現実だ。


だからこそ、今のオマエに本当に「モテ」が必要なのか問うてみて欲しい。
「モテ」た先にある結果が、今の自分に本当に必要なモノなのか。
「モテ」の先にあるリスクに、今のオマエが耐えられるのか。
精神をすり減らし、気力・体力を削ぎ、ありとあらゆる力を「モテ」に注いだところで、ソレに見合う価値を得ることが出来るのか。
ソコを問うて欲しい。
その上で、やっぱり「モテ」に走るなら、ソレはソレで有りだろう。
だが、そんな危険性を知らず(考えず)に突っ走っても、手痛いしっぺ返しを喰らうのがオチだ。
よくよく自分の心と体に折り合いをつけて、十分に吟味して欲しい。



そして、周りの人間も無意味に煽らないで欲しい。
恋愛なんて、義務でも必須科目でもない。
ソレが出来なかったからといって、無闇に人格を踏みにじるような言動は厳に慎んでもらいたい。
「恋愛をしたほうがいい」ってのはあくまで曖昧な一般論に過ぎないんだから、ソレに適合できない人間が居て当然だし、出来なかったからといって彼らを責め立てるのは単なる身勝手な毀誉褒貶でしかないということを肝に銘じて欲しい。