脱ヲタ者の不安


そう、不安なんだ。


確かに、オレはこの1年半で随分変わったと思う。
体重だって20kg以上減ったし、服にだって気を使うようになった。
原宿、渋谷、青山、六本木なんかも、ほとんど気後れなく歩けるようになってきた。
週末は飲みに出かけ、ソコで合う友人も出来た。


だけど、漠然とした不安感がオレの心を覆う事がある。


「ソレでいいのか・・・?」



確かに2年前のオレからすると随分進歩したと思う。
だが、ソレもあくまで「2年前のオレと比べて」の事だ。
そんな事、出来る人間は平気で出来ている。
そんな連中に比べたら、オレの「進歩」なんかヌルすぎてちゃんちゃら可笑しいだろう。


体重は確かに20kg減った。
だが、ソレとて「最盛期の90kgから比べると」に過ぎない。
オレの身長171cmから考えると、70kgですらまだまだ太い。
そして、オレの最盛期を知らない人間からすれば、今のオレは「小デブ」にしか過ぎない。
痩せたからと言って、全くアドバンテージにはならないのだ。


服飾レベルだって、まだまだだ。
少なくとも、原宿辺りを歩くファッショナブルな人々に比べると、オレの格好なんかファッショナブルでもカッコよくも何ともないだろう。
確かにフツーレベルではあるとは思うし、ソレでもいいと言えばいいんだろうが、それでもやっぱり不安な気分になってくる。
「オレはコイツらと張り合って勝てるんだろうか・・・?」



「人は人、オレはオレ」
と人は言う。
確かにソレは真実だ。
第一、原宿を闊歩するファッショナブルな連中はファッションエリートだ。
子供の頃からファッションに親しみ、その感性を磨けるだけ磨いた筋金入りのエリート。
言うなれば「ファッションオタク」なのだ。
そんな連中に、ファッションで対抗しようとしたって敵うわけはない。
ガンダムの知識においてガノタに敵うわけがないというのと一緒だ。


体型もそうだ。
例えばファッション誌に載ってるモデルや俳優、タレント。
彼らはいわば「自分の体を売って商売してる」人々なわけで、体つきや顔付き、姿勢や仕草まで完璧に整える事で自分の価値を高めて、ソレで飯を食ってる人々だ。
当然ソコには、血の滲むような努力もあっただろうし、人知れぬ所での努力研鑚があったればこその「モデル」であり「タレント」であるわけだろう。
そんな人々に、並みの人間が敵うわけがない。
野球を始めたばかりのトウシロが松坂大輔ばりの剛球なんか投げられないのと同じ。
そんなのは当たり前の事だ。



でも、何故か求めてしまう。
例え「身の程知らず」だと知っていても・・・。



多くの脱ヲタ者も、同じ事で悩んでるかも知れない。
ドレだけ頑張って、ドレだけ骨身を削って、ドレだけ求めても及ばない壁。
打ちひしがれ、不安に煽られ、強迫観念にも似た物に背中を追いかけられる日々。
その中で、何を求め、何を探求していけばいいか全く分からない不安感・・・・・・。



巷間よく言われる「脱ヲタ者によるオタク叩き」も、この不安感から出ているのだろう。
「格上」の人間ばかり見て、彼らに敵う事は無いと打ちひしがれ、積もりに積もった不安をぶつけるかのように「格下(と彼らが考える)」のオタクを非難し、徹底的に排斥する。
かつての「オタク臭い嫌な自分」を拒絶し、その「嫌な自分」を他人の中に見出して、彼らを叩くことによって己の優越感と自信を得ようとする行動。
そうする事によって、精神を落ち着かせ、不安感を和らげようとする、彼らなりの処世術なんだろう。
ソレによって自分に自信を取り戻し、さらに邁進していこうという強い意欲に結びつけているのであるならソレはソレで有りなのかも知れないし、ある意味尊重しなければならないのかも知れない。



でも、今のオレにはそれが出来ない。
「過去の自分」を他人に見出してソレを叩くということは、回りまわって「自分」を叩くことに他ならないからだ。



確かにオレは、昔のオレが嫌だ。
休日は家で惰眠を貪り、たまに出かける先は秋葉原か同人イベント。
研鑚努力のカケラもなく、浜に打ち揚げられた鯨の如き体躯を持て余して、ただただ怠惰に過ごした日々。
嫌だ!もうこんな自分には戻りたくない!!


だけど、ソレでも生きてきた。
「誰かに認めてもらいたい」
「オレのことを理解してくれる人が欲しい」
そう考えて生きてきた。
例えソコに何の研鑚努力も無かったとしても、オレはオレなりに生きてきた。
ソレがオレと言う人間なんだ・・・。



だからオレは「ダサいオタク」を叩く気にはなれない。
例え腹の奥底で「うわ!こいつマジヲタだよ!!」なんて思っても(実際、そう思うことは多い)、ソレを口に出して言うことは出来ない。
腹の内でそう考えてしまう、そんな自分が嫌になってくる事もある。
そう考えるという事は、すなわち「オレ」自身で「オレ」という人間を叩くことでもあるからだ。



平気でオタク叩きを出来たら、もう少しはこの不安は解消されたのだろうか。
あるいは、脱ヲタなんかほっぽって「○○たん萌え〜!」なんて口走りながら萌えメディアに耽溺出来たとしたら、もっと楽だったのだろうか。
アキバやコミケを巡ってエロ同人誌を買い漁り、休日は家でネット三昧・・・そんな怠惰な日々の方が楽しかったのだろうか。
もっと無自覚に、無神経になれたとしたら、ひょっとしたらオレは幸せだったのだろうか・・・・・・。



でも、オレは出来なかった。
無自覚に、無神経になることを、オレの心が拒絶する。
「じゃぁオマエはどうなんだ?」
オレの心がそう問い掛けてくる。
だから、この不安とダイレクトで向かい合う以外に、道は無いのかもしれない。


何のための脱ヲタか。


誰のための脱ヲタか。


オレの進むべき道は、一体ドコなんだ・・・・・・。



苦闘の日々は続く・・・・・・。



PS:な〜んて書いてるけど、しょっちゅうそんな感じで悩んでるわけじゃ無いんだけど。
まぁ、たまに考えて鬱になることはあるけどね。
オレはいつも通り元気なんで、皆様ご心配無きよう。