「嫌オタク流」を読んで


確かにコレは暴論、極論だろう。
そもそも「オタク」を「オタクと呼ばれる集団」として一元的に語るという行為が暴挙とも言える。
その点、Amazon書評で(恐らく「オタクと呼ばれる集団」に属する人々からの)否定的見解が出ている通り。



だが「極論、暴論でしか見えてこない真実」にこそ目を向ければ、この本の意義は(それなりには)深いと思う。




例えば、エロゲーエロマンガ、扇情的な表現の目立つ(所謂)「萌えアニメ」を嗜好していながら、何故ソレを「純粋な物」として語るのか。


何故「非モテ」が「オタク」と結びついて語られなければならないのか。


オタクの考える「失った思春期」なんて物は、ハナから存在しない単なる妄想の産物じゃないか。


腹の奥底ではモテたいくせに、何故「モテるための努力」を忌避し、あまつさえ「DQN」等と罵るのか。


迫害、迫害と言うが、果たしてそんな「迫害」が本当に存在したのか。


何故今の「萌えアニメ」は、全てを定型的に作らなければならないのか。


何故、キャラの性格や、あまつさえパンツの色まで類型的にしないと売れないのか。


等々・・・・・・



確かに、こんな問題は様々な所で議論されてきている。
ココなどは、心理学的な見地からそれらの問題に切り込もうとしている。
いまさら改めて言及する問題でもないんだろうが、でも何故か軽視されがちな問題でもある。
そんな問題に、編者達は「嫌オタク」という「極論」を以って切り込もうとしているのだろう。



返す刀で、(所謂)一般の人々に浸透している
「『確実に泣ける』と評判の映画を観に行って確実に『泣く』」
といった行為に対しても、編者達は警鐘を鳴らす。
それこそが、今の日本の社会の問題であると警告する。
与えられた物をただひたすら怠惰に貪り、考えることをやめてしまう事の危険性。
ソレは、オタク、非オタクに限らない非常に大きな問題であると。
そして、結局「オタクと呼ばれる集団」も、そんな「現代日本人の問題」からは逃れられないと・・・・・・。



編者たちはこう提言する。
「もっと自由になれ」
と。
「オタクという立場」から自由になれと。
「与えられた物」から自由になれと。
モテなかったからといって、何故「オタクという立場」に「逃げ」込まなければならないんだ。
スクールカースト下位者が向かう道は「オタク」と「ヤンキー」以外にも沢山あるはずだ。
ソコに全く目を向けず、ひたすら「オタクという立場」の中から怨嗟の声を挙げてるだけじゃ、何も解決しないのだと。
(ちなみに、編者の一人・中原昌也はこの本の中じゃかなりの暴言を吐きまくっているが、ソレは多分、氏一流の偽悪的なパフォーマンスなんだろう。口は悪いが頭は相当良さそうに思える。って、オレは氏が何者か知らないんだけどね。)




個人的に、オレはこの本から勇気をもらった。
ここ数週間、オレはどん底状態だった。
脱ヲタの一つの集大成として臨んだコトで、手酷い失敗をやらかしてしまった。
自分が2年近く続けてきた「脱ヲタ」行動が間違ってたんじゃないかと、本気で悩んだ。
いっそのこと、「脱ヲタ」なんて面倒っちいコトなんか放っぽって、萌えアニメエロマンガに耽溺できた方がシアワセなんじゃないかとすらも考えた。
でも、そんな「萌え」にあまり共感できない自分は、実は「オタク」としてはハンパな存在なんじゃないか。
でも、じゃあ「脱ヲタ」した所で、所謂「一般人」としてみた場合、やっぱり中途半端な存在になってしまうんじゃないか。
オタクとしても一般人としても中途半端なオレは、一体何者なんだろうか・・・・・・?


でも、ソレでいいんじゃないか。
「オタク」「脱ヲタ」「一般人」なんて規定自体がバカバカしい。
そんなの、個人の意思でどこまでも飛び越える事が出来るんじゃないか。
「オタク」か「DQN」か、そんな二極論から、もっと自由になってみてもいいじゃないか・・・
オレは、そんなメッセージを読み取った。




そう。


コミケでエロ同人誌を買い漁ったその足で、新宿の洋服屋を物色したっていいじゃないか。


美容院に行って髪をセットしてもらったその足で、パセラにアニソンを歌いに行ったっていいじゃないか。


濃いアニソンやマキシマムザホルモンを口ずさみながら、「ぐるなび」で美味そうなイタリアンレストランを検索してたっていいじゃないか。


ソレがオレという男だ。
今出来ることをとにかくやってみようじゃないか。
その結果が満足であれ不満であれ、やった事に貴賎はない。
そう考えてみようじゃないか・・・・・・。



まぁ、この本読んでそんなコト考えるのはオレだけかも知んないけどね。




確かに暴論、極論が目立つし、ある意味「居酒屋でくだを巻いてるオッサン」みたいなフンイキであまりマジメさを感じない作りではある。
例えば、もっと極端に「嫌オタク」に振っちゃって、逆説的にオタク界の現在の閉塞的状況に切り込んでくるようなスタイルだったら、もっと面白かったかも知れないとは思う。


でも、所謂「非オタク」な人々の「オタク」に対する視点の一端を知るには面白いし、そういう視点こそが「脱ヲタ」という行為には必要になってくる部分も多々あるだろうから、脱ヲタを志そうとしてる人には必携の書と言えるだろう。



・・・な〜んて、ちょっと煽ってみたりして(笑)。