「秋葉原通り魔事件」は、オタクたちの人格を搾取してきた「オタク業界」に対する鉄槌なのか・・・

もうオレが何言わずとも分かってると思うけど、秋葉原で起きた通り魔事件。
痛ましい事件であることは言うまでも無いことだけど、でも今のオレはわりかし一歩引いた視点でコレを見ているところがある。
多分、ここ数年アキバに足を踏み入れることがなかったからかも知れない(ヨドバシにすら行ったことが無い)。



ただ、今回の事件は何か奇妙な象徴性がありそうな気がしてならない。
上手く言えないんだけどソレは「オタク業界」その物への鉄槌というか何と言うか・・・そんな感じだ。



伝え聞くところによると、かの容疑者は掲示板で煽られた腹いせで今回の凶行に踏み出したいうコトらしいけど、ソコで「秋葉原を襲う」という発想が出てくること自体、件の容疑者が「オタク」乃至は「なにがしかのオタク文化に通じた人間」であると考えてマズ間違いないだろう。
つまり今回の事件は
「オタクの象徴・秋葉原を、他ならぬオタク自身の手によって攻撃した(ソレも、無差別殺人という最悪の方法で)」
という構図があるわけだ。



ここ数年の「萌えブーム」によって、オタク業界の勃興は著しい。
でも、果たしてその勃興はオタク業界に素晴らしい結果を与えるのか。
オレはそうは思えない。
むしろ、オタク自身の腹の内に存在している問題が一挙に噴出して、社会的軋轢を引き起こしてしまいかねないのではないのか・・・そんな不安すらも感じる。
なんとなれば、オタク業界というのは、その「オタク自身の腹の内に存在している問題」を喰って成り立っているから。



例えば「萌えブーム」
「萌え」とは言うけど、結局その中身は「性的欲求」だ。
・・・極論だろうか。
でも、今ある「萌え」と呼ばれる要素(ツンデレヤンデレメガネっ娘、メガネ男子、ネコ耳、メイドさん等々)のほぼ全てが「異性に対して」向けられた視点であるという一点で共通しているじゃないか(稀に「ショタっ子萌え」な男も居るけど、ソレとてソコに「性的な視点」を見出すのは造作も無い)。
「萌え」と「性」が分かちがたく結びついているのが、今の「萌え」と呼ばれるモノの最大特徴であり(モチロン、コマーシャルにのるものに関してはある程度はソフィスティケイテッドされてはいるけど、でも例えば「エロゲー」や「エロマンガ」「エロ同人」というジャンルに至っては、そんな「萌え」と「性」の不可分性が濃厚に凝縮されている。)、その意味で「萌え」と「セックス」は地続きなのだ。
そして、そんな「性的欲求」が「萌え」という仮面を被って大手を振って歩いている今の状況というのは、社会道義的に見て実は相当に「異常」なんじゃないだろうか・・・。
秋葉原の大通りに堂々とエロゲーの看板が並んでいる様を見ると、そう思わずにはいれない。



性的問題だけじゃない。
オタクメディアのそこかしこに散見される「暴力性」もまた、同じように彼らの心的問題に影響を与えているという可能性も、オレには否定できない(そもそも「萌え」というのが、多分に「暴力的」だと思うし)。
そしてそんな「暴力性」は、オレの腹の内にも画然としてある(ただ、オレの場合は他人にその暴力が向かわず、専ら自分で自分の頭を壁に打ち付けたり、カッターナイフを手の甲に突き立てたり・・・そんな風に「暴力性」が自分自身のほうに向いてしまう傾向がある)。
モチロン、ソレに拠って犯罪を犯す人間はごくごく少数でしかないのは分かるし、ソレをいちいち取り合ってたってキリが無いというコトも承知の上だ。
でも、ソレはただ単に「暴力を実行に移さないだけ」であり、その腹の内にそんな問題点を抱えながらオタクメディアの与える「妄想」で自らの暴力性を消化しているだけに過ぎないのであれば、ソッチのほうが余程恐ろしいんじゃないか。
「暴力を起こす」のが問題じゃない。「暴力を起こしたいと腹の内で思う事」が問題なんだ(参考)。
そして、オタクメディアがそんな彼らの「暴力性」の「ガス抜き」になってしまっているんじゃないかという疑念を、オレは拭うことが出来ない。
杞憂であればいいんだけど・・・。




そして、そんな「萌え」あるいは「暴力性」に晒され続けた人間はどうなるのか・・・。
オレもソッチ方面はまったく無学なんで断言できないんだけど、でもココの5番目の項目で指摘されているコトは、十分起こりうる問題なんじゃないかと思う。
何故なら、オレ自身がそうだったから。
オレ自身がエロマンガやエロ同人誌に耽溺していた時の心の内がまさにこうで、そしてそんなおかしなズレに全く気づかなかったから。
そして、脱ヲタ行為を始めて自分の心に向かい合って行く過程で、どうしようもない妄想が腹の内に沈殿してしまっていることに、否が応でも気づかざるをえなかった。
そして、イヤな現実にフタをして妄想世界に遊んでいるうちに、オレは30を超え、本来30代ならそうなってて然るべき人間に全く成れていないことに気づいてしまった(その辺はココでも書いたとおり)。
この10数年・・・いや、20年近くの間、オレはそんな現実から目を逸らし続けてきた。
そう、誰も「ブクブクと太ってズタボロの服を着ておかしなダサメガネをかけて、ありもしない妄想の海に浸ってチ○コ握り締めていた、腐ったブタのようなキモヲタ」のオレなんか認めてくれるわけはなかったのだ!



真に恐ろしいのは、かの容疑者のように極端な犯罪方面に突っ走ることではない。
むしろ、かようなモノを浴び続けることで微細に、しかし確実に人格が蝕まれてしまうコト・・・あるいは、そんなコトに全く気づかないまま、生涯に渡って人格を傷つけられ続けるコト・・・それこそが最も恐ろしいコトのような気がする。
そしてソレは「犯罪」という形で目に見えるわけじゃない分、余計に性質が悪いんじゃないだろうか。



確かに、オレはまだマシだったのかも知れない。
会社にも行き、仕事もし、給料も貰い、ソレなりに人とも繋がっていて、決して現実社会と断絶しきった生活をしてきたわけじゃいから。
でも、そんなオレですらこんな按配だ。
ましてや、オタクメディアにドップリと耽溺しきった人々の心証は幾ばくの物なのか。
アキバやコミケ等で猫背気味に俯き、ニタニタとした気色の悪い笑顔を浮かべながらエロゲーやらエロ同人誌やらを買い漁る、浜に打ち上げられた鯨のような巨躯を持て余した30〜40代の男達を見ていると、そんなどうしようもない寂寞感に包まれてくる。
もし彼らが何らかの必要性に駆られて社会にコミット”せざるをえない”状況になった時、オレ以上に苦しみ、もがき、抗い、そしてどうしようもなくなって、遂には人生に絶望しまうのかと考えると「一体誰が彼らを救うんだろう・・・」と、何とも言えない荒涼とした思いに心を支配されてしまう。
余計なお世話だってのは分かってんだけど・・・・・・。
ココでも指摘されてるように、30を超えてからの自己変革は非常に辛い。ソレはオレも痛感している)。




そんな彼らに、オタクメディアは何をしてきたのか。
ただ単に「逃げ道」を与えてきただけじゃないか。
なんとなれば、業界側にしてみたら彼らみたいな人間が増えれば増えるほど、そしてそんな彼らが現実へコミット出来なければ出来ないほど「望ましい」事態だから。
そうやって「逃げ道」を与え続けてさえいれば、彼らは喜んで金を払い、ソレを貪り喰うわけだから、こんな美味しい話も無いだろう。
でも、そうやって前途洋々たる若者の可能性の芽を摘み、生涯終わるとも分からない無間地獄へと引き摺り込むその罪を、いったい誰が償うと言うのか。
「そんなん自己責任でしょ」
確かにソレは真理だ。
でも、本人が貪りたくて貪ったわけじゃなく、様々な内的あるいは外的な圧力でそう「せざるをえない」まで追い詰められていたのだとしたら(その辺はココを参考に)、軽々しく「オマエのせいだ!」と言って責めるべきなのかどうなのか、オレには判断できない。
いや、仮に彼らを責めるとして、でも彼らに「逃げ道」を与え続け、結果的に現実世界から断絶せしめ、追い詰めていっている業界の姿勢は、一体誰が責めるというんだろう。
ココのAの項目を読むと、そう思わずにいられない。



オタク業界は、かようにして彼らの抱える「心的問題」を煽り、ソレを喰らって今の隆盛を築き上げてきた。
「売れる」から「萌え」という名の「妄想」、あるいは「暴力」を与え続け、ソコに胡坐をかいてきた。
ソレが道義的に見てどうなのか、ソレによって誰がどういう犠牲を払うのか、そのことに対して今の業界はあまりにも無自覚すぎた。
準児童ポルノ規制」なんていう言葉が出てきてしまうのも、そもそもはそんな業界全体の「無自覚さ」への反動なんじゃないだろうか(ちなにみオレは「準児童ポルノ規制」は犯罪抑止には全く効果はないと思うけど、そんな業界の無自覚なタレ流しへの歯止めとしては「仕方ないんじゃないか」と、半ば諦め気味だ)。
そう、今の今まであまりにも好き勝手やりすぎたのだ。



そして今回「オタク文化の象徴」秋葉原で起こった惨劇・・・。
ソレは、「オタクの内的問題」を煽ってソレを搾取してきた「オタク業界」に対し、他ならぬ「オタク」自身が振り下ろしてきた鉄槌なんじゃないだろうか。
そう思えてならない。
その意味で、オレは「象徴的」だと感じたのだ。
払った犠牲はあまりにも大きい。
でも、こんな悲惨な事件が起こり、今後様々な方面から外的圧力がかかるコトは間違いないであろう今こそ、オタク業界はそんな自らの不明を恥じ、現実を見据え、自らの犯してきた「罪」を直視し、襟を正して現実社会と正対していく為の好機だと捉えなきゃならないと思う。
ソレが無ければ、またいつか同じ事件が起こり、同じ軋轢が起こり、同じ圧力がかけられ、やがて業界自体が疲弊し、袋小路に陥ってしまうことは明白だ。
今回の「秋葉原通り魔事件」は、その為の「必要な痛み」なのだ。
オタク業界が、自ら率先して人格を破壊したオタクたちに対するケアをどうしていくのか、そしてオタクたちとオタク業界が互いによりよい発展を遂げていくにはどうすればいいのか、今こそその舵取りが求められるのだろう。




PS:
今回の事件で犠牲になってしまった方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
そして、一刻も早い事件の真相究明を願っております。