脱オタクファッションに限界を感じた理由

この間の記事には沢山の方から反響がありました。
この場を借りて、厚く御礼申し上げます。



さて本題。
じゃあ何故オレがああいう風に思うようになったか。
そのキッカケは、実はTシャツ選びだった。



先日、夏に向けてTシャツを数枚買い足したいと考え、どういう柄を選べばいいのか悩んでいた時だった。
まずオレはサーフィンをやらないから、サーフ柄は無い。
ロックにも全く興味が無い以上、ロックTを着たって意味が無い。
軍人じゃないからミリタリーモチーフ柄を着る訳にもいかない。
大学生でもないくせに、カレッジTはないだろう。
アートに対する審美眼もないから、アートTも無理。


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・・・何も着れないじゃん、オレ・・・!



そんな些細な事で突き当たってしまったのだ。



そうなってくると、ドンドン湧いて出てくる。
テニスをやらないのに、ラコステのポロシャツを着てもいいんだろうか。
モッズに対する関心が無いのに、フレッドペリーを着てもいいんだろうか。
ローリングストーンズなんか聞いた事無いのに、あのベロ出しTシャツを買ってもいいんだろうか。
ランニングなんかしないのに、ニューバランスの靴を履いてもいいんだろうか。
山登りをやんないのに、シエラデザインズのマンパを買ってもいいんだろうか。
軍人じゃないのに、M65ジャケットを着てもいいんだろうか。
カウボーイでも無いのに、ウェスタンシャツやジーンズを身に付けてもいいんだろうか・・・。
そんなギモンが、次から次へと沸々と湧き上がってきてしまった。
            



「そんな難しいコト考えなくって、適当に着ていいじゃん。」
ソレは確かに真理かも知れない。
でも、ソレで失敗している人が沢山いる。
サーフィンとは全く無縁そうに見えるのにサーフTを着ている人々。
山登りしそうにないのにトレッキングブーツにリュック背負ってる人々。
戦争するわけでもないの軍物に身を包んでいる人々。
ロックなんか聞かなそうなのに黒いTシャツに穴開きジーンズを身に纏い、スカルリングを付けている人々・・・。
・・・そんな人々を、アキバやコミケで沢山、それこそ掃いて捨てるほどに見かけてきた。
そして、オレもかつて4年以上前はそんな中の一人だった。
PIKOのサーフTシャツにデニムシャツを羽織り、ぶっとい黒ジーンズにGTホーキンスのトレッキングブーツ。
肌寒い時には黒のナイロンパーカーを羽織り、モチロン背中には真っ黒なリュック。
ソレがオレのスタイルだった。
今思い出しただけでも、我ながら何とも嫌な気分になってきてしまう。



本当にスポーツやロックが好きな人が↑のような人を見たとき、一体全体どう考えるだろうか。
サーフィン好きからしたら、自分の好きなサーフィンが汚された感じがするんじゃないか。
アウトドアマンからしたら、自分の中の大切な領域が土足で踏み荒らされたように感じるんじゃないか。
ロック好きからしたら、自分の大好きなバンド、ミュージシャンを馬鹿にされたように感じるんじゃないか。
ソレは丁度、アキバ系とは全く無縁の人がウケ狙いで「アキバ系」とか「萌え」とか書かれたTシャツやジャージを着ているのを、オタクたちが苦々しく見ているのと同様に・・・。



そう思うと「一体オレは、何を着ればいいんだろう・・・」という問題にぶち当たってしまった。



好きなものを好きに着る。
それが一番なのは分かりきっている。
そして、好きで着たものがカッコ良ければソレに越したことは無い。
だけど、30年以上そんなモノとは無縁に過ごしてきてしまったオレが、たった4年でそうそう簡単にそんな域に到達するなんて到底思えない(だからこそ、少しでもその差を埋めようと、必死に「知識」を補完しようとして、そのうち知識を貯め込むことが面白くなってきてしまったんだけど・・・)。
今でも、「コレはカッコイイんじゃないか」と思って着てみたら全く似合わなくて閉口したり、「今日はオフに出るから少しはエエカッコして行こう!」と思って、実際に鏡の前で合わせたときは「イケル!」と思っても、オフの場では自然にカッコ良く着こなしている人々を目の当たりにして、必死こいてエエカッコしてしまった自分の至らなさ加減を思い知って自己嫌悪に陥ったり・・・そんな事が多々ある(余談だけど、原宿と渋谷が平気になったオレでも、代官山には未だに馴染めないのはそういった事情だ。代官山を行く人は「本当に自然体のオシャレを謳歌している(ように見える)人」ばっかりで、オレの至らなさ加減が余計に身に染みるからだ)。
ソコに足りないのは「カッコつけない自然体のカッコ良さ」、つまり「ライフスタイルの表現としてのファッション」であり、そのライフスタイルの根底にあるのが「音楽」であり「スポーツ」であり「アート」であり・・・つまりは「(世間一般的に見て)カッコいい(と思われがちな)ライフスタイル」ではないのか・・・。
そう思い当たってしまったのが、「脱オタクファッションの限界=ライフスタイルの表現」だと考えてしまった最大の原因だったワケだ。
オレ自身の根深いルサンチマンから来る極めて偏った見方であるとは思うが・・・。



結局のところ「カッコよくなりたい」と必死こいてしまっていたオレは、はたから見たら実にカッコ悪い存在以外の何者でもないという、そんな乖離現象がその根底にあるのかも知れない。
自然体に、気負うことなく、好きなものを好きに着て、尚且つカッコ良く・・・。
そんな都合のいい事が果たして存在しているのかは分かんないけど、そういう「気負わない自然さ」が、今のオレには必要なのかも(等と気負ってしまってまた堂々巡りの日めくり行事なんだけど・・・)。